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<Author: 韋應物>
<Title: 郡齋雨中與諸文士燕集>
<Format: 格式不明>
<Year: 1988>
<BookName: 唐詩三百首詳解  上卷>
<Translator: 田部井文雄>
<style: 現代文有假名>
<style2: 日本現代譯文附假名標注>
<TranslatedTitle: 郡齋 雨中に諸文士と燕集す>
<BookPage: 1>
<UsedPage: 1>
<Feature: 0>
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<Poem>
兵衛森畫戟，
宴寢凝清香。
海上風雨至，
逍遙池閣涼。
煩疴近消散，
嘉賓復滿堂。
自慙居處崇，
未覩斯民康。
理會是非遣，
性達形迹忘。
鮮肥屬時禁，
蔬果幸見嘗。
俯飲一杯酒，
仰聆金玉章。
神歡體自輕，
意欲凌風翔。
吳中盛文史，
羣彥今汪洋。
方知大藩地，
豈曰財賦疆。
<End Poem>
<Translation>
官舎（かんしゃ）の外（そと）には護衛兵（ごえいへい）のいろどられたほこが、おびただしくおごそかに並（なら）んでおり、奥座敷（おくざしき）では、今（いま）しも潜（ひそむ）らかなかおりの香（かおり）が、たきこめられている。海（うみ）のかなたから、風（かぜ）と雨（あめ）とがやって来（き）て、のんびりと気（き）ままに楽（たの）しんでいる身（み）には、池（いけ）のほとりの高殿（たかどの）は、涼（すず）しく感（かん）じられる。

わたしのわずらわしい病気（びょうき）も、最近（さいきん）ようやくよくなって、りっぱ賓客（ひんか）たちが、表座敷（ひょうざしき）いっぱいに集（あつ）まった。自分（じぶん）は刺史（しし）という高位（こうい）にいて、いまだに、この蘇州（そしゅう）の人民（じんみん）の安楽（あんらく）な生活（せいかつ）を実現（じつげん）して、眼前（がんぜん）にし得（え）ないことが、恥（は）ずかしい。物事（ものごと）の道理（どうり）をよく理解（りかい）し、会得（えとく）して、是非善悪（ぜひぜんあく）にこだわらなくなり、自分（じぶん）の性情（せいじょう）が、広（ひろ）くのびのびとした境地（きょうち）に達（たっ）して、外形（がいけい）に現（あらわ）れる行為（こうい）としての礼節（れいせつ）などにとらわれることを忘（わす）れ去（さ）りたいものだ。

鮮魚（せんぎょ）と肥肉（ひにく）は、夏（なつ）の暑（あつ）い時節（じせつ）のために食（た）べられないが、野菜（やさい）やくだものは、幸（さいわ）いにも味（あじ）わえる。下（した）を向（む）いて一杯（いっぱい）の酒（さけ）を飲（の）み、上（うえ）を向（む）いてこの席（せき）で作（つく）られる、皆（みな）さんのりっぱな詩文（しぶん）に耳（みみ）を傾（かたむ）けよう。心（こころ）はよろこび楽（たの）しんで、体（からだ）は自然（しぜん）に軽（かる）くなり、思（おも）いは、風（かぜ）に乗（の）って空高（そらだか）く飛（と）んでいこうとする。

この呉中（ごちゅう）蘇州（そしゅう）の地（ち）は、文学（ぶんがく）・文化（ぶんか）の盛（さか）んな土地柄（とちがら）で、多（おお）くのすぐれた人々（ひとびと）が、現在（げんざい）たくさん集（あつ）まっている。そこでこ今（いま）こそわかった。この蘇州（そしゅう）という大（おお）きな諸侯（しょこう）の国（くに）は、けっして経済的（けいざいてき）な豊（ゆた）かさばかりではない文化的（ぶんかてき）にも発達（はったつ）した地方（ちほう）であるということが。
<End Translation>